2015年8月30日日曜日

自分の壁は他人に壊してもらう

自分の壁を自分で壊すのが難しいなら, 他人に壊してもらえばいいんじゃない? と最近思っている

子供の頃, 自転車で 10~15 分くらいのところに図書館があったのだが, さらに 10 分くらい自転車に 乗ると, 大きめの別の図書館に行ける. 私は近いほうの図書館で満足していたのだが, ある日, 同級生に 連れられて大きめの図書館に行ってみると, やはり本の種類も多くて, それ以降はときどき行くように なった. 自分ひとりでは近くの図書館しか知らずに終わっていたかもしれないが, その壁を同級生に 壊してもらったおかげで別の図書館を知ることができた

献血 にも, 同様の話がある. 高校生の頃に スタートした献血だが, それほどマメに献血に行くほうではなかった. しかしネットで とんでもない頻度で献血している人の存在を知り, 「何度も献血してもおかしなことではない のか」と考えて, 学生時代は上限いっぱいまで献血をしていた. 「献血とはこの程度で十分なのだ」 という思い込みを, 他人に壊してもらった事例である

このような経験から, 他人から依頼された仕事は, 食わず嫌いせずに一回は受けてみようと 考えようと心がけている. また他人の行動を知るためには, 他人と接触する機会を増やすことが 大事かなと思っている (社会人になると, 案外と新しい人間関係を作りにくくなるので‥)

2015年7月5日日曜日

人に聞く

分からないことは, 遠慮せず人に聞けばいいのではないか? というお話 (トーマスのオープニング風)

先日, 「コンサルティング会社の人から, ある技術について詳しい人を紹介してほしいと言われ いるのだが‥」という依頼のメールが, 転送に転送を重ねて私のところへ届き, 私が対応することに なった. 先方と何回のメールのやり取りをして, それほど難しい質問ではないことが分かったので, 関連する 公開資料や web site の URL を教えて終わりにしようと思った. でも先方が「どうしても直接話を聞きたい」と 言ってきかないので, 30 分ほど電話で対応した. 一応満足してくれたようだ

私が逆の立場なら, 「簡単に調べられることを相手に聞くのは失礼ではないか?」とか「最低限の下調べを してから聞くのが礼儀ではないか?」と考え, 直接聞くのは「最終手段」の位置付けになる. 今回の場合も 直接聞くのは「最終手段」という点は変わらないものの, 一足飛びで「最終手段」を用いたところが, 私の 常識とちょっと違うところである

ただ質問する側の都合だけ考えれば, 未整理の資料群を渡されるよりも, 分かっている人から聞くほうが 早く情報を理解できる. 「礼儀」よりもそこに重きを置くならば, 「遠慮せずに人に聞く」ハードルを, 少し 下げても良いのではないだろうか?

ただ「遠慮せずに」を繰り返すと評判が悪くなるかもしれないので, 多用するのであれば同じ目的で活動している 職場内とか会社内くらいにしておくほうが良いかもしれない

※ 今年は月に 1 回は更新しようと思っていたが, 滞ってしまった. 挽回できるか?

2015年4月18日土曜日

やめられないジンクス

なかなか読み終わらない Thinking, Fast and Slow だが, ある章を読んでいてこんなことを考えた

私のジンクスの 1 つに, 「腕時計をつけ, コーヒーを持って会議に参加すると, うまくいく」というのがある. 「腕時計→時間を意識する」「コーヒー→眠気防止」という実用的な意味もあるのだが, 5 年くらい前からこれが 習慣となり, やめられなくなった

一方, 人間は「その行為を続けることで失敗するよりも, その行為を変えることで失敗するほうが, 後悔が大きい」 という性質がある. 例えば「A 社の株を持っている人が, ある日, A 社の株を持ち続けようと判断し, 損を出した」場合 よりも, 「B 社の株を持っている人が, ある日, B 社はやめて A 社の株を持とうと判断し, 損を出した」ほうが 後悔が大きい. 「レストランであるメニューを頼んだらとても美味しかった. 別の日にそのレストランへ行ったとき, 別の メニューを頼んで美味しくなかったら嫌だから,以前と同じメニューを頼む」というのも同じことだ

ジンクスも同様で, 「ジンクスをやめることで不都合なことが起こったら嫌だから, ジンクスを続ける」という 意識が働いている. しかしジンクスに具体的な因果関係が無ければ, 「過去にうまくいった」ことと「今後もうまくいく」 ことの間には関係が無く, 当たり前だがジンクスには意味が無い

他人に合理的な判断を求める私自身が合理的な行動をしていないのも何か矛盾があるので, ジンクスを 1 つやめて みようかと思う

2015年4月5日日曜日

プロ野球の投手とリスク

また, リスクの話である

多分, 日経新聞のスポーツ欄のコラムなどに書かれていたことだと思うが, 「あの投手は普段は淡々と投げて いるが, ピンチになると『スイッチ』が入る」とか「大投手が球場を沸かすのは, 適当に打たれるからだ」という 話がある. 新人の投手などでは最初から全力で投げて三振を取りにいくような姿勢が見られるが, ベテランは 必ずしもそうではないと, 私自身も思う. これは「相手チームに点を取られても, 自分のチームがそれ以上に 点を取れば勝ちになる」という野球の特徴を考えた上で, ベテラン投手がいかに効率良く勝つか (≒ 1 シーズンの勝ち星を 多くするか) を考えた上での行動なのではないかと思う

投手にとってリスクが少ないやり方は, 自分の controllable な範囲内でアウトを取ること, すなわち 三振を取ったり, 内野ゴロに抑えたりという方法である. ただしこの方法は投手への負担が大きいので, これだけで 1 シーズンを乗り切るのは無理である

そうなると, 多少のリスクはある (投手の uncontrollable な領域が増える) が, ピンチでないときは 投手のみでアウトを取ることを考えずに, 例えば打たせてアウトを取るなどの方法も混ぜていく. こうする ことで, 投手に過度な負担をかけずに, チームとして勝ちを狙えるようになる. ベテラン投手はこの 「リスク」の取り方を学んでいるからこそ, 仮に打たれても負けにならないようにできるのだろう

リスクとは不確実性であるから, リスクを取るということをは不確実性が増すことになる. 不確実性が 増す中で, どの範囲を OK とするか, あるいはどういう場合にリスクを減らす行動を取る (投手の「スイッチ」を 入れる) か, そんなことを考えながら仕事をしていこうと思う

(追伸) プロ野球はショービジネスの側面もあるから, 「単に三振を取るよりも, 打たれてピンチの状態で アウトを取るほうが人気が出る」という考えも混ざっているかもしれない

2015年3月14日土曜日

「分かりにくい」禁止

最近, コミュニケーション力が重視されるようになり, 「何を伝えるか」以上に「どう伝えるか」に 重きが置かれるようになったと感じる. 伝える中味に価値があったとしても, それが相手に伝わらなかったら どうしようもないわけで, 確かに「どう伝えるか」も大事なのだが, そのウエイトが「どう伝えるか」に 偏り過ぎているのではないか? と思う

先日, 大阪都構想に関する新聞記事で, 政治家による説明が「分かりにくい」と書かれていて, そこで 記事が終わっていた. 政治家にとってコミュニケーション力は大事であり, それが不足していること自体に ニュース性があるのかもしれない. だが, 分かりにくい状況を分かりやすく説明する努力をせずに「分かりにくい」と切り捨てて記事を 終わりにしてしまうのは, 報道機関の仕事を放棄しているのではないか? と感じた

仕事の場面でも, 例えば部下が上司にクドクドと説明するような場面で, 上司が部下に対して「お前の 話は分かりにくい」と言うことがあるかもしれない. その指摘によって部下のコミュニケーション力が 向上するなら有効な指摘である. ただ, 部下のコミュニケーション力が上がるまで仕事を止めるわけには いかないので, 上司は, 分かりにくい部下の説明を理解した上で, 仕事を進める必要がある

「分かりにくい」説明に対し, 「分かりにくい」と切り捨て, そこで思考停止に陥ってないか? 政治かも, 報道も, 私も

2015年2月28日土曜日

リスクを取るのは簡単だけど難しい 2

こんなケースを考えてみた. どちらを選びますか?

  • 無条件で 9 万円を差し出す
  • 90% の確率で 10 万円を差し出す. でも 10% の確率でお金を差し出さなくても良い

今度は, 後者を選ぶ人が多いのではないだろうか? 理由は, たとえ 10% であっても, 損しない可能性が ある方に賭けたい気持ちが働くのだろう

今度は, 期待値を変えてみる

  • 無条件で 9 万円を差し出す
  • 90% の確率で 20 万円を差し出す. でも 10% の確率でお金を差し出さなくても良い

期待値 (の絶対値) は後者のほうが 2 倍も大きく, 明らかに後者のほうが不利だ. でも 後者を選ぶ人が少なからずいるだろう

これは, 野球で言うと「9 回裏 2 アウトの場面で, 代打でホームランを狙う」気持ちに 似ている. 確率は低いけど, 大きな効果を得られる方法があるなら, それに賭けてみたいという 気持ちが働く. でも長い目で見れば, 「一発逆転」を狙うよりは, 損失を小さく抑える方法を 考えるほうがベターである場合が多い

「安易にリスクを取ると失敗する」という事例である

リスクを取るのは簡単だけど難しい

本 を読みながら, 「リスクを取る」ことに ついて考えた (行動経済学を誤って理解してたらごめんなさい

次の 2 つの選択肢のうち, あなたはどちらを選びますか?

  • (堅実派) 無条件で 9 万円あげます
  • (ギャンブラー) 90% の確率で 10 万円あげます. ただし 10% の確率で 0 円になります

どちらの期待値も 9 万円なので, 合理的な集団に尋ねれば, 堅実派とギャンブラーが半々に 分かれるはずだ. でも現実は, 多分, 堅実派のほうが多くなると思う. なぜかと言うと, ギャンブラーの 「10% の確率で 0 円になる」という結果が嫌で, 確実に 9 万円を得られる方を選んでしまうからだ

では, ギャンブラーの賞金を釣り上げてみる. 次の 2 つの選択肢だったら, あなたは どちらを選びますか?

  • (堅実派) 無条件で 9 万円上げます
  • (ギャンブラー) 90% の確率で 20 万円あげます. ただし 10% の確率で 0 円になります

こうなると, ギャンブラーが増えてくるのではないか? しかし, 期待値はギャンブラーのほうが 2 倍も 大きいのにも関わらず, 堅実派を選択する人もそれなりにいるだろう

これを仕事に置き換えて考えてみる

  • (堅実派) 成功確率は高いが期待値が高くない選択肢
  • (ギャンブラー) 成功確率は高くないけど期待値が高い選択肢

これら 2 つの選択肢があったとき, 多くは前者の「成功確率は高いが期待値が高くない 選択肢」を選ぶのではないだろうか? だが, 前者の選択肢を選び続けていると, 成功する確率は 高いものの, 成果が小さいということになってしまう. 「合理的」に考えられれば長い目で 見たときに成果を大きくすることができるのだが, 「心情的」に失敗を避けたがるので, 成果が 小さくなる. 頭では分かっていても, リスクを取るのは難しい