2015年1月23日金曜日

DNA

「わが社の DNA は‥」という表現をときどき目にするが, 私はこういう文脈で 使われる「DNA」という比喩が好きではない. 「DNA」と見なしただけで安心して しまい, 次の一歩が出ないからだ

生物における DNA は種の保存と多様性を両立する優れた仕組みで, これによって, 個々の生物が 意識しなくても, 環境変化などに対して生き残る確率が高くなっている

一方で比喩的に使われる「DNA」だが, 例えば「わが社の DNA は教育を重視すること」 という表現を考えている. その会社には「教育を大事にする思想」が built-in されて いて, 社員が無意識のうちに教育を大事にする風土になっている印象を受ける. でも, 果たしてそうなのか? 本当にそうなら良いのだが, たまたま教育熱心な役員が何代か 続いただけという可能性もある. もしそうなら「DNA」だと思って無意識のまま 時が過ぎてしまうと, いつの間にか教育を大事にしない風土になってしまう恐れもある. にもかかわらず「DNA」だと思ってしまうと, その変化に気付きにくい. そこが危険なのだ

私は最近, 比喩の「DNA」を見たときは, 反射的に疑うことにしている. 「わが社の DNA は教育重視である」本当か? 「わが社の DNA は安全第一である」 本当か? 「ものづくりは日本の DNA である」本当か? 「勤勉は日本人の DNA である」 本当か?

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